鳳鳴は祖父の俳号

日記 メモ そんなの

 三十年ぶりに山に行った。一族に伝わる山の土地のことを山と呼んでいる。私が上京して働いている間に国道バイパスが開通して道がわからなかったが、登り口の角にある古い納屋を見つけて記憶が蘇ってきた。小学生から中学生の頃までは父に連れられて柴を刈ったりみかんをちぎったりと手伝いに来ていたのだ。その頃は道も舗装されていないなかった。今は従兄弟がログハウスを建て、車も停めやすいよう土が盛ってある。

 昔はみかんの木があった。今は何処にあったのかも思い出せない。山の土地は斜面にそって段々になっており、ここは開けていたはずなのだが孟宗竹が迫っていた。ここには梅の木と柿の木があったはずだがわからなかった。

 その記憶にある梅の木の枝にAMラジオを下げ、草刈りをしていたのだ。そして枯れた竹などと共に焼いた。野焼きができるほどの空間はあったのだが、竹に埋もれてしまった。そしてデコポンがひとつだけ生っている木。そこに祖父の句碑があった。

 祖父の俳号。この句碑の近くに祖父の遺骨が埋めてある。ワンカップの中に入った遺骨。父と埋めた。当時は気にしていなかったがこの句碑、祖父が生きている間に建てたもののはず。舗装もされていなかったこの山の中に、どのようにして運んできたのだろうか。

 ふと気付く。句碑を取り囲むように他の句碑が建っている。「諸々の 哀歓は地に 天の川」

 そしてもうひとつ。日が暮れてきたせいかよく見えなくなってきた。

 だが何かが伝わる。句碑に手をかざす。さらに強く。なぜ山頂近くに一族の土地があるのか。なぜ祖父はこのような句碑を据えたのか。そして天の川の句。謎を隠すように生い茂る孟宗竹。従兄弟は電気も通わないこの場所へログハウスを建てた。何のために?今まで思いもしなかった疑問が次々を湧き上がる。そして何かを伝えようとしている句碑。今の私には何かが足らなくて伝わらないのか。もう一度周囲を見渡す。あたりは薄暗く、竹藪の奥は見えない。私は車に戻る。この山と句碑と祖父の謎、おそらく父が知っている。ヘッドライトを点け、私は山を下った。