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時代を彩った名機たち~1980年代・国産パソコン戦国時代を振り返る: マイナビ を読んで

 Kindle本です。思わず衝動買い。1-Clickこわい。

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1980年代のパソコンは「自分でプログラムを作る道具」でした | eBooks編集部

 当時パソコン(パーコンとも呼ばれていた)に熱中し、ナイコン族だった私も電器店やデパートにかよっていじっていた。こんな当時の雰囲気を思い出してしまう本。取り上げられている機種は世代や店の環境によっても変わってくるけど自分の場合についてつれづれに書いてみよう。
 こういった情報は「ラジオの製作」、「初歩のラジオ」や専門誌の「I/O」、「アスキー」、「マイコン」など。「RAM」は市内に出ないと買えなかった。そして最新機種の紹介記事をみて雑誌の前後にあるツクモやその他の広告をみてこれ欲しいなあと悶々とするわけである。とても子供の小遣いで手に入る値段ではなかったので誕生日や進学やクリスマスなどのイベントを狙って親にねだって買ってもらったわけだ。当時の小中高校生はほとんどそうだったんじゃないかな。私は中三の時に「マイコンBASICマガジン」で知ったポケコンFX-702Pを小遣い貯めて買い、高校進学の時にFM-7を買ってもらった。雑誌を見てベーシックマスターLEVEL3markIIが欲しかったのだけど福岡の電器のカホでディスプレイ込み298,000円、FM-7のセットは198,000円だった。Macintoshについてはもうコーナーが別で独立した部屋に高級オーディオみたいな感じで展示してあったのを覚えている。
 電器店について。当時は街の電気屋さんがまだ成り立ってて各メーカー系列のパソコンが展示してあった。河波電器には出たばっかりのPC-6001が小さなテレビに繋がれてて自由に使えた。高校の同級生の家業はサンヨー薔薇チェーンの電器店で、入荷したばっかりのPHC-25で遊んでた。
OLD-COMPUTERS.COM : The Museum
 佐賀市に出かけたときは駅に近い電器店の二階にパソコンコーナーがあって、シャープX1が大型のプロジェクタみたいなテレビに接続されてた。X1デビュー時はたくさんのゲームが同時に発表されてなんだか華やかだった。X1はPC-8001などの表示を強化するPCGという256個のキャラクタ、8x8ドットそれぞれに任意のカラー8色を定義できてゲームに便利という機能を内蔵していて、ちょっと知ってる人ならこれはゲームが作りやすいぞという動機で購入していた。その店は初めてだったのでおどおどして見てたら同じくらいの年の人がPC-8001のゲームで遊ばせてくれた。電器店にカセットテープを持ち込んで雑誌のダンプリストを入力し、その店で遊ぶというコミュニティができていたようだ。
 市内だとデパートすぎやの3F電器コーナーにPC-8001PC-8801があったし、新しくできたショッピングセンターピオにはずらっとカセットテープのソフトウェアが棚に入れられて売られていた。同級生が何も知らずに適当なゲームを手にとってそのまま遊ぼうとセロファンの封を剥がしてたら店員さんが慌てて注意してた。ソードのm5があったなあ。テープのロード時間は長いけどカートリッジでゲームがすぐ遊べるというのが魅力的で刺さってたボスコニアンで遊んでた。ベスト電器はまだ小さい店舗だったがMSXが色々置いてあって、高三になったこの頃はもう家電感覚だったんじゃないかな。
 ちょっと同級生や同志たちが持っていた機種を並べてみよう。私:FM-7、N島君:MZ-2000、7田君:X1-C、M守君:VIC-1001、Y田君:PC-8801、M松君:PC-6001、あと市内のアマチュア無線クラブはMZ-80K、高校の理科教員室にはPC-8001があった。音楽好きで作曲もするN島君がMZ-2000というのはちょっと謎で、当時としてはサウンド関係に弱い機種。マシン語で遊びまくってたのは私とM松君で、彼とは井崎書店で専門誌を奪い合った仲。M松君はZ80でFORTHの独自実装やったんじゃなかったっけか。うちによく遊びに来てそんな話してたけど私にはよくわからんかったので上行ってたと思う。
 一時期複数機種使ってたな。ベーシックマスターレベル3mark5をI/Oの工学社がソフトを作る条件で貸し出してくれて、その中から選んでムックを出すというのに応募したんだった。この機種はレベル3にX1にも載ってたPCGを追加した機種で、ソフトウェアを作ってもらおうというキャンペーンだった。レベル3mark5の上にFM-7がぴったり載って、ディスプレイケーブルを繋ぎ変えながらFM-7デバッグしつつレベル3mark5の本番環境で確認するという同じMPUだからできたやり方。シミュレーションゲームを作ったのだがゲームバランスが悪くてすぐ全滅してしまうという出来で時間切れ、なんとか提出は出来たけど不採用だった。
 ちょっと自分基準で機種をグループ分けしてみるか。
第一世代:ワンボードマイコン。ある程度電子工作ができる人たち。当時はアマチュア無線家が該当し、年齢も高校生以上くらい。日電TK-80(TK-80E)、東芝EX-80、富士通Lkit-8、日立H68-TR、パナファコムLkit-16など。オプションでテレビにつなげたのはLkit-16、EX-80、TK-80で、TK-80EとTV出力のオプションを筐体に入れたCOMPO-BSというのがあった。
第二世代:パソコン。ハンダ付けは必要なくオーディオの配線が出来る程度の知識でOK。BASICが使える。
日電PC-8001,PC-8801,PC-6001、日立ベーシックマスター、カシオFP-1100、富士通FM-8,FM-7、シャープMZ-80K(半完成キット),MZ-80B,MZ-2000,X1。
洋物だとApple][、Commodore PET、タンディ・ラジオシャックTRS-80、Commodore VIC-1001、シンクレアZX-81。
第三世代:各社の後継機とMSXの時代。パッケージのソフトが増え、ゲームソフトを買って遊ぶユーザーも増えた。(とても多いので省略)
第四世代:16bit機とPC98シリーズ。シャープX68000富士通FM-11,FM-16β,Commodore AmigaATARI ST、Macintosh。カンブリア大爆発のおわり。
これ以降だんだんとホビーでなく実用向けになってソフトウェア互換が重視されるようになり、エプソンのPC98互換機が出てきてPC-9801の時代になり、PC/AT互換機から現在へ。


さあここで懐かしがれ
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