鳳鳴は祖父の俳号

日記 メモ そんなの

死のことwithマイスリー

 両親はまだ健在だが、死のことがいつも頭に浮かぶ。
自分が死んだら、これまで自分が貯めてきた本や機材がガラクタとなって散ってしまう。これらの物は私の存在があって関連付けられるもので、同じような考え方の人が見ない限りは意味のないノイズ、価値の無いガラクタとなってしまうのだ。
父または母が亡くなったらどうだろうか。
一緒に住んでいる割には干渉しないように過ごしているが、そうは言ってられないだろう。父母がお互いに寄りかかっていたものを私が支えなければならない。具体的には車に乗って買い出しや病院に連れて行くことなど。
両親が同時に亡くなった場合は。
友人の中には家の権利をもう親に譲ってもらった人もいる。色々な理由があるみたいだが、私はなにももらっていない。この家は古く、いとこも私が生まれる前に住んでいたことがあるので必ずしも私が後を継ぐとも限らない。もし譲ってもらったとしても私が末代となる可能性が非常に高い。この時は、私が孤独死した場合の後始末を準備しておく必要がある。まあ必須ではないが、誰かが片付けなきゃならんはずなので、できるだけ手間はかけないようにしてあげるのが良い。
 ある意味、甚大な自然災害などで一気に失われてしまったほうがいかに楽か、考えないで済むかと思わんこともない。
とまあ、睡眠導入剤マイスリーを2錠飲むとこんな普段なんとなく考えていることを記録に残したくなる。